裁判員、あるいは裁判員候補者として、この制度を経験したことのある人も、増えてきたかと思います。
裁判員制度が開始した以上、いつかはこの合憲性が問題にされ、判決がなされるであろうとは、予想されていましたが、最高裁判所平成23年11月16日判決は、以下のように、この制度が、憲法の諸規定に違反していないこと(合憲であること)を、一つ一つの論点ごとに、判示したものです。

<そもそも国民の司法参加が、一般に、憲法上禁じられているかどうかの点について>
大要、
「憲法には、国民の司法参加を認める旨の規定が置かれていないが、それが直ちに、国民の司法参加の禁止を意味するものではない。
このような、刑事司法の基本に関わる問題は、憲法が採用する統治の基本原理や、刑事裁判の諸原則、憲法制定当時の歴史的状況を含めた憲法制定の経緯、及び憲法の関連規定の文理を、総合的に検討して、判断されるべき事柄である。
これらを総合的に検討すると、憲法は、刑事裁判の基本的な担い手として、裁判官を想定していると考えられるものの、国民の司法参加も許容している。
国民の司法参加と、適正な刑事裁判を実現するための諸原則とは、十分調和させることが可能であり、憲法上、国民の司法参加がおよそ禁じられていると解すべき理由はなく、国民の司法参加に係る制度の合憲性は、具体的に設けられた制度が、適正な刑事裁判を実現するための諸原則に抵触するか否かによって、決せられるべきものである。
憲法は、一般的には国民の司法参加を許容しており、これを採用する場合には、上記の諸原則が確保されている限り、陪審制とするか参審制とするかを含め、その内容を、立法政策に委ねていると解される。」
と判示しました。

<裁判員制度が、憲法31条、32条、37条1項、76条1項、80条1項に違反するかどうかの点について>
大要、
「憲法80条1項が、裁判所は裁判官のみによって構成されることを要求しているか否かは、結局のところ、憲法が、国民の司法参加を許容しているか否かに帰着する問題である。
憲法は、最高裁判所と異なり、下級裁判所については、国民の司法参加を禁じているとは解されない。
したがって、裁判官と国民とで構成する裁判体が、それゆえ直ちに憲法上の「裁判所」に当たらない、とはいえない。
そして、裁判員法の諸規定によれば、裁判員裁判対象事件を取り扱う裁判体は、身分保障の下、独立して職権を行使することが保障された裁判官と、公平性、中立性を確保できるよう配慮された手続の下に選任された裁判員とによって、構成される。
また、裁判員の権限は、裁判官と共に、公判廷で審理に臨み、評議において、事実認定、法令の適用、及び有罪の場合の刑の量定について、意見を述べ、評決を行うことにある。
これら裁判員の関与する判断は、いずれも司法作用の内容をなすものであるが、必ずしもあらかじめ法律的な知識、経験を有することが、不可欠ではない。
さらに、裁判長は、裁判員がその職責を十分に果たせるよう、配慮しなければならないことも考慮すると、上記のような権限を付与された裁判員が、様々な視点や感覚を反映させつつ、裁判官との協議を通じて、良識ある結論に達することは、十分期待できる。
他方、憲法が定める刑事裁判の諸原則の保障は、裁判官の判断に委ねられている。
このような仕組みを考慮すれば、公平な「裁判所」における、法と証拠に基づく適正な裁判が行われること(憲法31条、32条、37条1項)は、制度的に十分保障されている上、裁判官は、刑事裁判の基本的な担い手とされていると認められ、憲法が定める刑事裁判の諸原則を確保する上での支障はない。
したがって、憲法31条、32条、37条1項、76条1項、80条1項に違反しない。」
と判示しました。

<裁判員制度が、憲法76条3項に違反するかどうかの点について>
大要、
「憲法76条3項によれば、裁判官は、憲法及び法律に拘束される。
そうすると、憲法が、一般的に、国民の司法参加を許容しており、裁判員法が、憲法に適合するように法制化されたものである以上、裁判員法が規定する評決制度の下で、裁判官が、時に自らの意見と異なる結論に従わざるを得ない場合があっても、それは、憲法に適合する法律に拘束される結果である。
元来、憲法76条3項は、裁判官の職権行使の独立性を保障することにより、他からの干渉や圧力を受けることなく、裁判が法に基づき、公正中立に行われることを保障しようとするものであるが、裁判員制度の下でも、法令の解釈に係る判断や、訴訟手続に関する判断を、裁判官の権限にするなど、裁判官を裁判の基本的な担い手として、法に基づく公正中立な裁判の実現が図られており、こうした点からも、裁判員制度は、同項の趣旨に反しない。
また、国民が参加した場合であっても、裁判官の多数意見と同じ結論が常に確保されなければならないのであれば、国民の司法参加を認める意義の重要な部分が没却されかねず、憲法が国民の司法参加を許容している以上、裁判体の構成員である裁判官の多数意見が、常に裁判の結論でなければならないものでもない。
裁判員法では、評決の対象が限定されている上、評議に当たって、裁判長が十分な説明を行う旨が定められ、評決については、単なる多数決でなく、多数意見の中に、少なくとも1人の裁判官が加わっていることが必要であることなどから、被告人の権利保護という観点からの配慮もされており、裁判官のみによる裁判の場合と結論を異にするおそれがあることをもって、憲法上許容されない構成であるとはいえない。
したがって、憲法76条3項に違反しない。」
と判示しました。

<憲法76条2項に違反するかどうかの点について>
大要、
「裁判員制度による裁判体は、地方裁判所に属するものであり、その第1審判決に対しては、高等裁判所への控訴、及び最高裁判所への上告が認められており、裁判官と裁判員によって構成された裁判体が、特別裁判所に当たらないことは明らかである。」
と判示しました。

<憲法18条後段に違反するかどうかの点について>
大要、
「裁判員としての職務に従事し、または裁判員候補者として裁判所に出頭することにより、国民に一定の負担が生ずることは否定できないが、裁判員法1条は、この制度が、国民主権の理念に沿って、司法の国民的基盤の強化を図るものであることを示している。
このように、裁判員の職務等は、司法権の行使に対する国民の参加という点で、参政権と同様の権限を国民に付与するものであり、これを「苦役」ということは、必ずしも適切でない。
また、裁判員法には、裁判員になることの辞退に関する規定や、裁判員等に対する旅費、日当等の支給により、負担を軽減するための経済的措置に関する規定も、設けられている。
これらを考慮すれば、裁判員の職務等は、憲法18条後段が禁ずる「苦役」に当たらず、裁判員または裁判員候補者の、その他の基本的人権も侵害しないから、同条後段には違反しない。」
と判示しました。

そして最後に、大要、
「裁判員制度は、裁判員が、個別の事件ごとに、国民の中から無作為に選任され、裁判官のような身分を有しないという点においては、陪審制に類似するが、他方、裁判官と共に、事実認定、法令の適用、及び量刑判断を行うという点においては、参審制とも共通するところが少なくなく、我が国独特の、国民の司法参加の制度であるということができる。
それだけに、この制度が、陪審制や参審制の利点を生かし、優れた制度として社会に定着するためには、その運営に関与する全ての者による、不断の努力が求められるものといえよう。
裁判員制度が導入されるまで、我が国の刑事裁判は、裁判官を始めとする法曹のみによって担われ、詳細な事実認定等を特徴とする、高度に専門化した運用が行われてきた。
司法の役割を実現するために、法に関する専門性が必須であることは、既に述べた通りであるが、法曹のみによって実現される高度の専門性は、時に国民の理解を困難にし、その感覚から乖離したものにもなりかねない側面を持つ。
刑事裁判のように、国民の日常生活と密接に関連し、国民の理解と支持が不可欠とされる領域においては、この点に対する配慮は、特に重要である。
裁判員制度は、司法の国民的基盤の強化を目的とするものであるが、それは、国民の視点や感覚と、法曹の専門性とが、常に交流することによって、相互の理解を深め、それぞれの長所が生かされるような、刑事裁判の実現を目指すものということができる。
その目的を十全に達成するには、相当の期間を必要とすることはいうまでもないが、その過程もまた、国民に根ざした司法を実現する上で、大きな意義を有するものと思われる。
このような、長期的な視点に立った努力の積み重ねによって、我が国の実情に最も適した、国民の司法参加の制度を、実現していくことができるものと考えられる。」
と判示して、締めくくられています。

以上より、裁判員裁判は、合憲とされ、今後も続くものと予想されます。